妙高:夢から覚めると東の空に漂う下弦の月


愉快な若い仲間達と一緒に妙高へ出かけた。呑んだあと、ボクは早々に眠った。

本当に驚くぐらい穏やかな眠りだったようだ。母の夢を見た。今のボクと同じ年頃だから二十数年前の姿。3度目の結婚についてボクに話をしていた(現実には離婚歴はないのだけど)。ボクの質問に対して、「その時がきたら話すわ」と云った。

そんな夢から覚めた明け方,その余韻はたっぷり残っていた。大きな窓の向こうには千切れそうに細った月か雲間に揺れていた。東向きの窓であることを知った。雲を貫いて微かに見える星もあり、高原の清澄な大気を知った。

この何年いや十何年か、夢の余韻に浸った記憶がない。大概は夢をみたような感触が微かに残っているだけ。

20代のはじめに夢日記を書いてみた。日に日に夢の記憶が鮮やかに、精緻になっていくことが分かった。ひと月も経つと、夢が記憶を浸食する感覚が出始めた。忘れない夢、記憶に残る夢。山並みの影にひっそりとある誰もいない集落を独りで歩き、家々にかかる祭礼の提灯を怖く思った当時の夢が、未だに記憶に残っている。心底怖くなって、夢日記はやめた。そんな夢に怯えるような気持ちが夢を遠ざけていたのか?

最近、夢の余韻に浸ることが何回かあって、不思議な気持ちのなかにいるのだ。もっとも,金沢での現の生活がボクの貧しい夢より一層夢らしい彩りをもっていることも確かなのだけどね。