2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

雨の仙台で

昨日から、雨の仙台へ。寒い。20℃前後で、半袖が恨めしい。 昨夜に着いて、まずは酒。とても忙しい時間を過ごしていたので、正直、ほっとした。

半世紀前の記憶

昨日の金沢は台風の影響か、強い風。小松へのバス便を待つために、香林坊のバス亭でぼんやり、木々が揺れているのを眺めていた。 金沢出身で東京に住んでいるK君が、この香林坊の光景が好きだ、と云っていたことを思い出した。ボクもこの光景は好きだ。大和…

山とある日

山とある日、という本がある。上田哲農という画家であり、登山家の画文集。雪がある山のなかで過ごす日々や、そこでの心象を訥々と綴ったもの。山を独りで登っているときの、気持ちの移ろいのようなものが、記憶の底に残っていて、そのような本を開き、山の…

渓流にも蜻蛉が飛び交う時候に

渓流にも蜻蛉が飛び交う時候になってきた。まだまだ暑いが、夏はお仕舞いのようだ。体感される大気の温度と、季節感にはいつも齟齬がある。光や空から感じる季節感から、半月から一月ほど遅れて大気の温度が季節に合わせてくる感覚がある。だから2月も中旬…

雨の朝

新しい職場で仕事をすることになり、電車に乗る。すでに始業時間に間に合わないことが分かっていて焦る、が仕方がない。満員の福知山線で北上する。幸い座ることができて、居眠りをしていた。武田尾のトンネルを過ぎて、目覚めると誰もいない。空っぽの電車…

フォーの日々

タイでは不思議と麵はあまり食べない。たまにパッタイくらい。ヴェトナムでは毎日フォーを食べる。タイもヴェトナムも中華料理がベースなのだけどなぜだろう。ヴェトナムでは朝がフォー。昼、夜も何かしら麵を食べていた。味がやや薄く、スパイスも緩め、だ…

サイゴンの記憶

重層的な歴史、それも他国との関係を軸にした、が滞積したサイゴン。清朝、フランス、米国、そしてソヴィエト。その陰影のようなものが、街の光景のなかに記憶として投影されている。熱帯の大気は厳しいのだけど、どこか冷たさのあるような光景、そんなサイ…

デルタ地帯の人工的なジャングル

南の国に来た。北にいるときには自然に抱かれたような人工的な空間のなかにいる。今は、大河が作り出すデルタ地帯の人工的なジャングルのなかにいる。コンクリートのなかにいるのだけど、自然はむしろ人のなかにある。昔の日本のように、出稼ぎ者が多い大都…

Bangkok・Sukhumvitの光景:何時に来ても

何時に来ても、来たのではなく、居たことがある、そんな既視感のなかにある。 半世紀ほど前に、あたりまえのようにあった世界が、濃密に圧縮されて目の前に広がる。 オート三輪が未舗装の泥道の隘路から飛び出し、道端に座る乞食、路肩に転がる犬猫の骸、川…

雨季もお仕舞い方の南方へ

今年もやってきた。天蓋は水を湛え、今にも溢れ出しそうな危うさのような、湿気が漂っていた。 この時期のバンコクは30℃から32℃程度、案外、心地よい。 強い日射しが浮かぶ雲のコントラストを強め、だから背後の空が黒く見えるほど、モノトーンの光景が広が…

大船・観音食堂 久々に長居

20年くらい前は大船に住んでいて(今でも一番長く住んだのは大船、14年)、そこでよく飲んだ店。当時から店構えは変わっていない。通りに面した座敷で、路地風に当たりながら呑むビール、天ぷらが美味かった。 昨夜は旧友と久しぶりに、懐かしい店で呑んだ。魚…

イワナの夏

7月に入ってから忙しい。そもそも、仕事の業務暦のようなことから、7月と1月は厳しい。それに加え、随分な書き物、業務の資金獲得の提案などなど。相当の圧迫感のなかにあって、折角の第二の人生の地、での生活が台無しだ。 相変わらず、隙間のような空き時…

地理的な意識の変容を・北陸新幹線

もう開業して随分経つ。はじめて乗ったのが7月だから、遅い。それも東京から金沢行き、だけ。 この地に来て、鉄道に乗る習慣がほぼ消失したので、なかなか慣性モーメントから脱出できないのだ。 今朝ははじめて金沢から東京行き。自室近くのバス亭から、ゆっ…

今年の7月は

野菜の7月、が毎年のこと。自室近くの農協系のスーパー・マーケットに近在の野菜が集まり、安い。まさに旬のなかにいることが分かる。毎年、この時期は野菜を沢山食べている。年齢も高くなってきたので、体への負担も少なく、心地よい。 楽しみにしているの…