金沢・野田山から小立野:ボクにとって走るということは


今週の金沢は信じ難い好天。雲ひとつない蒼空が何回もあらわれて、驚いてしまった。雷も、雪も、雷も、霰もない冬。すっかり春の日和。

降雪で路面が塞がっていること、昨秋に右足を痛めてしまったこと、のような理由で、今年に入ってから走っていなかった。走ることを忘れていたような日々。

今週にはいって、こんな天気だし、暫く呑みすぎだったので、日曜日に走りはじめて、一日置きに3回走った。ボクの生活に何が足りなかったのか、思い知らされた感じだった。あたりまえのように、ボクの生活の要素の一つであるという感覚。欠けていた身体の素のひとつを取り戻した感覚。ある種の欠落感が救済された気持ちになった。

長い緩やかな坂道を登って行くと、目の前には大きな白い山嶺がみえてくる。その距離がどんどん近づいてくる。大きな河岸段丘を登りつめ、振り返ると、白山に連なる山嶺。最後は寺町台地に登る坂。手前の犀川をわたる橋からは犀奥の山々が霞む。そんな光景と、光景を吹き抜ける風の中にいる。自分の鼓動とつきあう時間感覚の延伸、運動体となって身体のキネマティックを制御する無機的な感覚、見えない流紋のなか遊泳.....

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最近、ボクのまわりで走りたい、という話をする方々が何人もいるので、少し具体的なこと

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ボクが走りはじめたのは2年半前。その昔、登山家の原真氏(無酸素ヒマラヤ登山の求道者で医師)の本を読んだ。そのなかで「毎朝10km走るヤツには欝はいない」、と言い切っているコトが強く印象に残った。ちょっと過酷(と云えなくもなかった)ボクの職場で、精神的に病む人間が少なからずいたから。ボクの職業人生の大変化(流転とも云えなくもない)がはじまった2年半前に、予防処置的な意図で走りはじめた。随分、面倒なメンタリティの最低線を保証してくれたように思う。最低限の達成感は得られるから。ヒトは何かを失ったら、何かを得ることもある、と思った。

そんな走りはじめだったのだけど、今、ボクにとって走るということは、愉悦そのもの。決して、ストイックな禁欲的なものでない。アルコールと同じ、たっぷり愉悦感を与えてくれる。

走りはじめは5kmがやっと。それも40分くらいかかった。それから1年は150km/月のペースで走り続けた。湘南モノレール沿いの自宅から江ノ島まで往復10kmを週4回のイメージ。休みは茅ヶ崎や逗子までover20kmを走る感じ。参考にしたのは,金哲彦氏の著書。かなり具体的で分かりやすい:

励みになるので走行記録、距離と時間は記録した。手軽なので、時計型のGPSレシーバーを使って計測。なんといっても、随時ラップを表示してくれるので、ペースをとても作り易い。

あとは普通のランニングシャツ,パンツ,シューズ。スグレモノはランニング用タイツ。ワコールのものを持っているのだけど、膝を守ってくれるような感覚があって、とてもよい。

走り終えた後は必ず「アイシング」。冷水シャワーで膝や足首を冷やしている。だから走っていて、足を痛めたことはない。

走り続けると、ラップがじわじわ伸びていく。そのなかでの具体的な目標設定が、30分/5km。4ヶ月くらいかかった。そのあとは,60分/10km、50分/10kmと体重減にあわせてタイムが伸びている。感覚的には、1kgの体重が1分/10kmに対応している。そう、10kg以上、体重が減ったのだ。

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今、走っているのは、だいたい11kmから13km。昨年走った犀川河畔は依然積雪があるので、野田山から小立野方面を走っている。あまり信号もなく、まあ快適。

(Aコース)寺町台地のうえの自宅から=>円光寺=>山環=>野田山=>涌波=>土清水=>小立野=>亀坂=>めぐみ幼稚園=>下菊橋=>長良坂=>自宅

地図のうえで赤のコース:11km

(Bコース)寺町台地のうえの自宅から=>円光寺=>山環=>野田山=>涌波=>土清水=>小立野=>美大=>天神坂=>賢坂辻=>兼六園=>21世紀美術館=>櫻橋=>櫻坂=>櫻木通り=>自宅

地図のうえで最初は赤のコース、途中で青のコース:13km

3月には、久々に湘南海岸を走ることにした。とても楽しみにしている。海沿いのランニングは、とても楽しいから。