引きこもり気分が長かったから:ロベール・デュマ、コフク、杉の井、ヴィンス、キナセ


コフクで路地風にあたりながら呑むサングリアは美味しかったなあ。

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基本的に音楽ブログ指向なのだけど、よく考えると音楽も山も金沢の事も私小説的独白の装いなので、たまには違う話題を同じようなトーンで少しだけ。

気分の上がり・下がりが激しくはないのだけど、確かにあって、あまり意識しなかったのだけど下がり目、の期間が随分長かったような気がする。独りでいる時間が随分長いと、そんな変調に気がつかず、なんだか引きこもり気分が随分と長かったような気がする。友人達が食事に誘ってくれたり(うまいぞいや哲とか、つる家とか。皆様ありがとう)していたのだけどね。ここ数日でなんだか雲が切れたような感触があって、少しだけはしゃいだような気分になった。それはそれで、覚めたらうなだれたり、するようなこともあるのだけどね。

そんなタイミングで古い友人が金沢に来て、食事をする機会があった。独り外食ができないボクなのだけど、なんとなく引き蘢り気分でも行ってみたい処もあったので、張り切った一日になった。まあ昼の1時から夜の11時。10時間の長時間飲酒。オーダは泉ヶ丘のフレンチ/ロベール・デュマ(二人)、新竪町のパーラー・コフク(二人)、犀川河畔の料亭・杉の井(一人加わり三人)、犀川大橋たもとのヴィンス(三人)、片町のキナセ(すべてが終わって独り酒)。体調なのか気分なのか分からないのだけど、呑めば呑むほど覚醒して酔わない、理想的な成り行き。だって、酔ったら酒の味も、会話も、雰囲気も記憶に残らないからね。初老(と云ってもいい)オヤジ2〜3人のことなので、地味なのだけど。

ロベール・デュマは野菜だの・地物の魚貝のあしらいが好きな店なのだけど昨年末以来だから随分行っていない。シェフの岩城さんに頼んで「オヤジ二人」が見苦しくない場所でゆっくり食事を頂いた。

彩りが鮮やかだし、眼で食べているのか味で楽しんでいるのか分からない。気分がすっかりハイになって、呑み歩きをスタート。すっかり弾みがついた。3時過ぎにデュマを出て、ふらふら。好きな櫻木通りを歩いて櫻坂へ。友人に一望の金澤のアチコチを説明。櫻坂を下って櫻橋を渡ってコフクへ。あまり沢山は行ったことがないのだけど、F医師夫婦が昼酒やっているのが羨ましかったからね。ここも久々。中に入ると、近所のパン家さんがおられて、やあやあ。扉が開け放たれて、路地風が吹き込む心地よさ。そんなセンスがいいなあ。先日、Jazz会で友人が持ち込んでもらったサングリアがすっかり気に入っていたので(暑いときに冷やして呑むといいですよね)、ここでも。窓に浮かぶ光景をぼんやり眺めながら一杯二杯。

すっかり気分は似非李白

山中与幽人対酌:  両人対酌山花開  一杯一杯復一杯  我酔欲眠卿且去  明朝有意抱琴来

さて日が傾いてくる頃、新竪町から片町を通って清川町へ。杉の井でもう一人合流し夕食。落ち着いた庭園を眺めながらの酒宴。常温の黒帯をゆっくりと。今回は鮎が馳走。

まあ匂いが香ばしいこと。焼き上がったばかりの、姿よしの鮎をがぶりと頂いた。この頃になると、ますます覚醒してきて、酒は旨いし、まだまだ呑みたいし。そんなこともあるんだ。食事が佳境を過ぎたところで、庭に向いた引き戸を開いて頂いた。夏といより初秋の雰囲気が虫の音とともにふわっと上がってきた。しみじみとした酒宴となって、改めてこんな時間を旧友と過ごせる僥倖に感謝した。

まだまだ呑み足りないので、杉の井から一番近いヴィンスに飛び込む。祭りの帰り、の客で賑わっているけど、なんとか3席。呑む・呑む・呑むの時間を過ごした。来客にはすっかり楽しんでもらってタクシーに乗せた。そして、最後はキナセのカウンタで独りで休憩。そんなときには、あのカウンタが気分に向いているのだ。

酒場を出ると、吹く風が秋になっていた。本当かな、と思って遠回​りして帰ることにした。誰もいない竪町の通りに響く足音、新竪町​の骨董屋の窓から漏れる白熱灯、桜橋の上で聴く虫の音、桜坂に吹​き上げる瀬の様子、どれも秋だと云うている。後わずかで8月なの​だけど、そんな不思議な感覚で7月を終える。桜坂の上で闇夜を眺​めながらそんな独り言を呟いていた。