夏のお仕舞い


 9月というのに炎天の日々が続いていた。南の方に颱風が現れると、山嶺を超えて乾いた熱風が日本海に面した街にも流れこむ。抜けるように青く、雲のない空が続いていた。元来、湿潤であることが金沢の良さなのだけど、乾いてしまった家庭菜園がそちこちに見える。

 路上には陽炎が立っている。土埃も白く乾き、自分が歩いている場所が全く金沢であることが信じられなかった。何を考えていたのか、うつむき加減に歩いていて、足元から舞い上がる土埃が印象に残っている。何歩かさきに、少し青みがかった黒いような革財布のようなものが見えている。近づくと、革ではなくて毛布の切れ端のようにも見えた。何だろう、と思った。足元の路面に張り付いたような、毛布の切れ端のようなものを目を凝らして見ると、小さなクチバシが見えた。路面に張り付いていたのは小鳥で、乾いた羽毛が潰れた俵のように纏まっていた。ボクは小鳥の死骸を戸外で見るのは初めてだったので、些か驚いてしまった。うつむき加減で歩くから、そのようなものが見えてしまう。少し頭を上げて、再び歩き始めた。どろっと漂うような熱気のなか、点々と毛布の切れっ端のようなものが見える。目眩がした。

 いつだって思っていることは、目覚めることない深い眠りのようお仕舞いを迎えたい、ということ。そんなことばかり考えていると、寝床に入ると、本当に目覚めるのか、自分でも分からなくなってしまうことがある。夜半前から大気の温度が下がりはじめる。肌寒いと感じる夜明け前、独り眠っている筈なのだけど、耳元で囁くような声が聞こえる。知らない、少し高めの女の声。本当にこれが本人にとって良かったと思う、と囁く。気がつくと一人だけでなく、何人かいて、そこに囁いているようだ。本人は目覚めないようなお仕舞いが良い、と云っていましたから、と。不思議な気持ちがしたのだけど、思いの外安らかで、ヒトのお仕舞いってこういうことなのかと思った。

 眼を開けると、ボクは薄っぺらいしとねの上で横になっていた。誰もいなかった。眼がゆっくり覚めてきたのだけど、茜色に染まった壁やレースのカーテン。いつか見た映画の中での涅槃のような色に包まれていた。未だ目覚めていないのか目覚めたのか、しばらく眼の焦点が合わないような時間を過ごしていた。そして、それが現であることが、ゆっくりとわかってきた。雲が沸き、その間隙を縫って日が昇る。はっきりと、窓の隙間から吹く風と、冷たくなった体を知覚することができた。雲の偏光特性。茜色に染まりながら、夏のお仕舞いを知った。

 そんな曖昧な記憶が現のことか、夢のことか判然としないのだけど、半分現で半分夢のような気がする。そんなことを考えながら、複雑なグラデーションの裾をいつまでも見ていたいような気分だった。