金沢城・走ることが好きでなくなっていたのだけど、改めて快楽主義に


 最近困っていた、というか、戸惑っていたことは、走ることが好きでなくなっていた、ということ。

 走ることが楽しくなくて、何か一定量の運動量を課すための、義務感が強く芽生えていた。だから、あるときから嬉しい気持で路上に飛び出すことがなくなっていた。

 多分に、山歩きへ出かけることの楽しさ、に代償されていった、ということもある。山歩きの場合、運動の快楽もあり、また移ろう景色や天候を感じながら時間を過ごす楽しみもある。走っているときに、そのような土地の雰囲気を楽しんでいた、のは過去となり、時計をみながら束縛されているような不自由感。走り始めの頃、体は悲鳴を感じながらも、鎌倉山から腰越の海岸に出たときの潮の香り、春先の滑川から沸き出る水の温もり、逗子から遠望される富士山そして漂う舟、そんなことが深く記憶に残るような時間が楽しかった。そうそう、江ノ島から逗子までのあいだ、岬を越えるごとに潮の匂いの濃淡が変わることも新鮮な発見だった。その頃より随分早く走れるようになったのだけど、何かが失われた。「何かを失ったら、何かが得られる」、と自分に言い聞かせて生きているのだけど、「何かを得たら、何かを失う」ということも、また真のように思える。寂しいのだけど。

 昨日、レコード棚の組み立てを手伝ってくれた友人と走った。走り始めたばかりの人。金沢城のまわりを走っている、という。走りはじめなので、1周を休まず走れないという。ということで、伴走してみた。実は金沢城の周りを走るのははじめてだし、そもそも金沢城のなかにも入ったことはない。もう4年半以上住んでいるのだけど。

 走りはじめの人は一生懸命走って、呼吸を荒げて辛くなってしまうことが多い。伴走して早々に気がついたので、話をして、呼吸が和らぐペースまで落としていった。8分/km。金沢城1周はほぼ2km。16分で1周。休憩なしで32分で2周。休憩なしで距離が延伸したことに驚いたようだった。

 金沢城の周りは、歩行者用の道が半分ほど。しかも路面の凹凸が少ない、走りやすい道。また車道も交通量が少ない。城壁、石川門、堀端など、景観の移り変わりも程よく楽しい。思わぬ、見つけもの。軽い気持で行ったけど、こんなに良いとは思わなかった。かなりゆっくりのLSDだけど、体には運動の実感はしっかり残り、何よりも走ることがとても楽しかったことに驚いた。毎日走りたい、と思いなおすきっかけ、になりそうな予感がした。なんか走り始めの原点、に戻った気分。

 走ることが好きでなくなっていたのだけど、改めて快楽主義に。走ること、登ること、滑ること、聴くこと、働くこと、呑むこと、五感を潤すような「こと」に快楽を感じる、それが今の生き方の原点なんだろうな、と再確認したということ、なんだろう。

 知人と4km走ったあと、もう1周、自分の時間で走ってみた。汗が出て気持ちよい。その後、はじめて金沢城内を走って、兼六園から石引まで上がって遠回りの3km(行きは2km)で自宅まで。ほんとうに気持ちの良い11km。快楽主義の走り、を再確認できた日曜日だった。