2015-01-01から1年間の記事一覧

別山・チブリ尾根往復(山並みを流れる雲)

飽きない山。いつも時間があったらチブリ尾根を歩きたいと思っている。相応の負荷を体にかけてくるので、自分の体の様子を知ることができる。それにブナの森から、何かしら感じるものがある。気分良く往復できること、が大切なのだ。 今回はあまり沢山は山に…

ブナの森を流れる水

昨日は早朝から別山へ。ブナの森の紅葉を楽しみに。いつものようにチブリ尾根を登り、下った。総距離18.5km、1600m余りの標高差を登下降する、日帰りには割と厳しいコースじゃないかと思う。同行の自称初心者(!)の方には気の毒かな、とも思ったけど、楽しい…

仙台・片平のあたり

20年近く前、ほんのすこしの間、仙台・片平にある大学に通った。仕事をしながら、だったので、寛容な職場だったと思う。 この10年余り、恩師を囲む会があり、皆、技術開発の成果を持ち寄り発表会をやっている。参加者は全員、 もう仕事が変わっている。第二…

暗い時候・妖しい路地

金沢に来て数年、街に流れる何か、が今まで住んだ土地と随分と違うことに驚き、歩き回っていた。ことに早々に暗闇がやってくる秋のお仕舞いかたから冬にかけて、そんな暗い時候に、妖しい路地のような場所に出会うこともあり、少しだけ変な体験をしたりもし…

ゆっくり融解する天蓋・別院のあたり

この数週間、比較的天候が安定している。落ち着いた、晴天が多い。爽やかな風のもと、走っている。 それでも、ここ数日、次第に冬の予兆のような感触があって、その感触が何かというと、天蓋がゆっくりと融解していくような、そんな感じ。成層圏から連なる高…

冬が忍び寄る朝

少し気怠い朝を迎えた。夜が明けて、幾分は経っている筈だけど、薄暗い。昨日までの朝と違う。厚くなく薄くなく、低くなく高くなく、濃くなく薄くなく、それでも冬空から流れ込んだような雲、が流れている。光は弱々しく射し込む感じが冬の気分だ。いよいよ…

別山に登る(2015-10-4)

先週の北穂高で体力面の低下、が気になった。2年余り、渓流釣りにはまって、あまり走れていない。山も低調。しかも11月には金沢マラソンがある。記録はともかく、完走できるのか?不安になってきた。 自分の状況を知るために、鍛錬を兼ねて、本当に久々の…

忙しくて忘れていたが

忙しくて忘れていたが、8月末で金沢にやってきて満6年たち、7年目の生活になった。毎年しみじみとその頃、丁度、底引き網が解禁になるころ、を迎えていたのだけど、今年は竿先に気持ちが集中していて忘れていた。殆ど、金沢で過ごしていなくて、あちこち…

モノクロームの記憶

記憶は何色だろうか、と考えるときがある。最初は彩色された記憶、のような気がするのだけど、次第に退色し、最後には陰翳しか残っていない、ような感覚がある。それも翳り、のようなものを縁取りするために淡い光があって、漆黒のなかに吸い込まれていくよ…

北穂高から涸沢へ(3日め)

三日目は北穂高から上高地への下山。随分と長い道を歩く。今回の山行ではっきりしたのは、体力の減退。渓流釣りに集中していたので、走り足りない。心肺機能がもとに戻っている。それを実感したことが、成果かもしれない。上高地から前穂高を日帰り往復した…

はじめての涸沢へ、そして北穂高へ(1日目から2日目)

東京のSさんに、随分と前から穂高に誘われていた。若い頃に登った穂高は西穂高だけ。実ははじめての北アルプスはそれ。もう30年以上前のこと。北穂高いいよ、って云われていたのだけど、渓流釣りにどっぷりだったこともあり、タイミングがなかなか合わない。…

犀川上流で過ごす時間

事実上、今年の渓流釣りシーズンを終えた(もう少し粘るかもしれないけど)。 連休最終日で沢も期待できないが、今朝、出勤前に犀川上流へ入った。先日、小熊を見かけたあたりなので、鈴を鳴らしてコワゴワ枝沢から本流に降りる。 そこそこの水量があって期…

岩魚の渓へ

最後に岩魚が出てきたのは8月の終わり。それからまったく岩魚は出てこなかった。 産卵の時期を迎え、どこに行ったのだろうか。岩魚が気になって、再び秋の渓流へ。 小雨交じりの朝、林道をとぼとぼ歩いた。時折、強い雨が落ちるが、気圧が上がっているようで…

秋の渓に

雨上がりの朝、渓流に入ってみた。未だに夏の盛り、の頃の感触に執着があるようだ。 林道の脇の草むらにも勢いはなく、ただ淋しい感じになっていた。 沢で竿を垂れると、渋い色をしたヤマメが飛び出した。もう渓流釣りがお仕舞いってことを、ゆっくりと悟っ…

休みは渓流で竿を垂れ、夕暮れにレコード聴いて

雨交じりの休日。休みは渓流で竿を垂れている。気分は引き籠もりの時期で、仕事じゃなければ、渓流以外には出かけていない。そろそろ人恋しくなる時分なのだけど、仕事で遠出することが多く、なかなか。 季節が変わってから釣果はさっぱり。イワナは何処へ行…

単色の日々

仕事で動き回る日々が続いている。もうあまり遠くに行きたくない、金沢で静かに釣り糸でも垂れていたい、と思うのだけど。 秋雨前線が膠着する中の移動、も辛い。空と同じように気分は晴れない。酒を呑んでも、そんな陰鬱な感じを再確認するような、感覚があ…

犀川源流への入口へ

今年は渓流釣りで犀川源流の倉谷川へ何回か入った。釣りも勿論目的なのだけど、犀川ダム上流の源流域に何故か心惹かれるのだ。乗用車で乗り入れ可能な場所から、上流へ12kmあまり。自転車と徒歩での遡上はなかなか大変なのだけど、確かにかつては人が住んで…

妙高を走る

夏と秋の間を揺らいでいるような景色だった。そのなかを走り続けた。針葉樹が多い森の中は暗く、開けた処へ飛び出した瞬間、とても眩しかった。夏のような空は一瞬で、見る間に秋の雲が沸き出し、まもなく雨が降り出した。

毎年の妙高

毎年、仕事で妙高に来ている。合宿研修、との名目の懇親。山登りが目的なのだけど、案外天候に恵まれていない。この数年で一回しか頂上に上がっていない。20年ほど前に、残雪の中、スキーで山頂まで行ったのは遠い過去のように感じる。 山に登れない時は走る…

雨の仙台で

昨日から、雨の仙台へ。寒い。20℃前後で、半袖が恨めしい。 昨夜に着いて、まずは酒。とても忙しい時間を過ごしていたので、正直、ほっとした。

半世紀前の記憶

昨日の金沢は台風の影響か、強い風。小松へのバス便を待つために、香林坊のバス亭でぼんやり、木々が揺れているのを眺めていた。 金沢出身で東京に住んでいるK君が、この香林坊の光景が好きだ、と云っていたことを思い出した。ボクもこの光景は好きだ。大和…

山とある日

山とある日、という本がある。上田哲農という画家であり、登山家の画文集。雪がある山のなかで過ごす日々や、そこでの心象を訥々と綴ったもの。山を独りで登っているときの、気持ちの移ろいのようなものが、記憶の底に残っていて、そのような本を開き、山の…

渓流にも蜻蛉が飛び交う時候に

渓流にも蜻蛉が飛び交う時候になってきた。まだまだ暑いが、夏はお仕舞いのようだ。体感される大気の温度と、季節感にはいつも齟齬がある。光や空から感じる季節感から、半月から一月ほど遅れて大気の温度が季節に合わせてくる感覚がある。だから2月も中旬…

雨の朝

新しい職場で仕事をすることになり、電車に乗る。すでに始業時間に間に合わないことが分かっていて焦る、が仕方がない。満員の福知山線で北上する。幸い座ることができて、居眠りをしていた。武田尾のトンネルを過ぎて、目覚めると誰もいない。空っぽの電車…

フォーの日々

タイでは不思議と麵はあまり食べない。たまにパッタイくらい。ヴェトナムでは毎日フォーを食べる。タイもヴェトナムも中華料理がベースなのだけどなぜだろう。ヴェトナムでは朝がフォー。昼、夜も何かしら麵を食べていた。味がやや薄く、スパイスも緩め、だ…

サイゴンの記憶

重層的な歴史、それも他国との関係を軸にした、が滞積したサイゴン。清朝、フランス、米国、そしてソヴィエト。その陰影のようなものが、街の光景のなかに記憶として投影されている。熱帯の大気は厳しいのだけど、どこか冷たさのあるような光景、そんなサイ…

デルタ地帯の人工的なジャングル

南の国に来た。北にいるときには自然に抱かれたような人工的な空間のなかにいる。今は、大河が作り出すデルタ地帯の人工的なジャングルのなかにいる。コンクリートのなかにいるのだけど、自然はむしろ人のなかにある。昔の日本のように、出稼ぎ者が多い大都…

Bangkok・Sukhumvitの光景:何時に来ても

何時に来ても、来たのではなく、居たことがある、そんな既視感のなかにある。 半世紀ほど前に、あたりまえのようにあった世界が、濃密に圧縮されて目の前に広がる。 オート三輪が未舗装の泥道の隘路から飛び出し、道端に座る乞食、路肩に転がる犬猫の骸、川…

雨季もお仕舞い方の南方へ

今年もやってきた。天蓋は水を湛え、今にも溢れ出しそうな危うさのような、湿気が漂っていた。 この時期のバンコクは30℃から32℃程度、案外、心地よい。 強い日射しが浮かぶ雲のコントラストを強め、だから背後の空が黒く見えるほど、モノトーンの光景が広が…

大船・観音食堂 久々に長居

20年くらい前は大船に住んでいて(今でも一番長く住んだのは大船、14年)、そこでよく飲んだ店。当時から店構えは変わっていない。通りに面した座敷で、路地風に当たりながら呑むビール、天ぷらが美味かった。 昨夜は旧友と久しぶりに、懐かしい店で呑んだ。魚…